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講演会 日本におけるダンテ -言語と文化のへだたりを超えて―

講師:岩倉具忠(京都大学名誉教授)

ダンテが日本に紹介された背景には西欧文化受容の問題があり、また異文化の伝達手段としての言語がどのような働きをしたかという問題と も密接にかかわってくる。日本人の中国文化受容の歴史は1000年の長きにわたる。この間日本人は中国語という異質の言語を日本語に翻訳する高度な技能を 身に着けて来た。それが西欧語の日本語への翻訳に応用されたのである。幕末から明治にかけて西欧語の日本語への翻訳に携わった知識人は例外なく漢学者であ るか、少なくとも漢学の素養のある人たちであった。かれらは日本語独特の柔軟性を利用し、優れた翻訳によって西欧の技術・文化の摂取に成功したのである。 明治から大正にかけてのダンテ文学の歴史もその成果の一つであった。

しかしながら明治政府の方針により、明治初期に先進国であった英独仏の三国の言語が、高等学校、大学で教えられる言語として採用された ために、イタリア語学習の可能性は奪われた。だからと言ってイタリア文化や文学が、日本に浸透しなかったわけではない。それは概して英独仏の文学を介して 紹介されたのである。十九世紀末の西欧は後期ロマン主義と言われる時代で、中世へのあこがれが強く、ダンテの文学が愛好された。また翻訳について言えば西 欧文学の多くの作品が日本語に翻訳された折に、イタリア文学は他の西欧語によって、つまり重訳で伝えられた。そうした事情があってダンテの詩の音楽的美し さに対する関心はそれほど高くなく、もっぱらその内容が重視さる傾向にあった。当時文明の欧化により物質的には豊かになった日本人には武士道に替る精神的 支柱が求められていた。これに応えたのがキリスト教であり、『神曲』の宗教的内容がキリスト教の作家たちの共感を得たのである。いわばダンテの強烈な自我 と社会悪への批判精神が当時の日本の青年たちのあこがれの対象となったのである。

『神曲』は日本近代の作家たちの多くに影響を与えた。その中から夏目漱石と大江健三郎の場合を取り上げ分析する。前者では『ロンドン 塔』と『行人』に『神曲』の色濃い影響の跡が見られ、後者では『懐かしい年への手紙』がダンテの作品を下敷きとした自伝風の構成を見せている。

 (日本語逐次通訳付)

お申し込み:件名を「11月11日講演会」として、お名前、電話番号、参加人数を明記の上、メールにて eventi.iictokyo@esteri.it までお申し込みください。
お問い合せ:イタリア文化会館
eventi.iictokyo@esteri.it
Tel. 03-3264-6011(内線15,
23)

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