四方田犬彦氏の講演会
一般的に日本では、ピエル・パオロ・パゾリーニは映画監督として知られていますが、詩人でもあり、小説家でもあります。本講演では、四方田犬彦氏がパゾリーニの詩の世界について語ります。 「パゾリーニ、詩と映像」四方田犬彦 20世紀を代表するイタリア詩人は誰であったか。これがそれ以前の時代であるなら、中世はダンテ、ルネッサンスはアリオスト、ロマン主義時代はレオパルディと、回答が決まっているのだが、この百年ではとなると諸家の間で意見が分かれるだろう。ウンガレッティの言語錬金を高く買う向きはあるだろうし、クヮジモードの抒情を評価する人もいるはずだ。モンターレの晦渋な危機意識は貴重であるし、サングィネーティの高踏的な実験精神は好ましく思われる。だがイタリアの民衆に一番近いところにあって、日常生活の卑小な悲しみから天下国家の行く末までのいっさいを射程に入れ、この国の言語的多元性、多層性を肯定的に取り上げ、ときに過激な実験に訴えもすれども、伝統的な韻律に忠実であった詩人は誰かといえば、それがピエル・パオロ・パゾリーニであることを否定する人はいないはずだ。 1975年11月3日朝、パゾリーニが不可解な殺害のされ方をしたとき、親友であったアルベルト・モラヴィアはその死を悼んで、「今世紀後半にイタリア語で書いた最大の詩人」il maggiore poeta italiano di questa seconda meta’ del secoloという表現を用いた。「後半」といういい方をしたのは、「前半」に生きたウンガレッティを配慮してのことである。だがパゾリーニが20世紀のイタリアを代表する詩人の一人であることは、衆人の一致するところである。この才気の塊ともいうべき人物は、すべての生涯を詩に捧げた。その人生はわずか53歳で中絶してしまったが、後にも夥しい詩篇が遺された。死後にガルザンティ社から刊行された全詩集は、若干の拾遺詩篇を含め、二巻本にして2400頁に及んでいる。パゾリーニといえば日本ではゴダールやマカヴェイエフと並び、1960年代から70年代にかけて一世を風靡した映画監督としての印象が強い。なるほど彼は傑出した映画監督であり映画理論家であって、『奇跡の丘』や『アポロンの地獄』といったフィルムは映画史上の古典として、現在においてますますその意味が高く評価されている。だがパゾリーニは単に映画人であったばかりではない。『生命ある若者』や『あることの夢』、さらに未完に終った大作『石油』まで、短編長編を問わず旺盛な筆を振るった小説家であり、『カルデロン』をはじめとする戯曲の作者であった。『ルター派書簡』『海賊評論』といったエッセイ集を通してつねに物議を醸す批評家であり、『異端経験論』では独自の言語論・映像記号論を展開し、ミラノの学者一派と論戦してやまない理論家であった。画家であり、バレエ作者であり、その政治的発言によって論壇を挑発してやまない知識人であった。おそらくその八面六臂のあり方に拮抗できる芸術家としては、わずかに本朝の三島由紀夫の名が思い出されるばかりである。『異端経験論』の中心をなす記号学的論文は、「ポエジーとしての映画」と題されている。このことからもわかるように、パゾリーニにとって詩とは、単に散文に対立する特定の文学ジャンルを示しているばかりではない。それはむしろ思考の根源的な形態であり、混乱と矛盾を湛えながらも世界が存在しているという事実をめぐって、その価値を確認し肯定するためのモードであった。ポエジーとしての小説。ポエジーとしての民謡蒐集と翻訳。ポエジーとしての政治批評。その意味でパゾリーニに比較すべきなのはフランスのジャン・コクトーである。コクトーもまたあらゆるジャンルを自在に横断して創作を続けたが、その根底にはつねに詩が横たわっており、現実に彼が手掛けた映画作品や小説は、ポエジーがたださまざまな形態をとって表出されたというだけのことであった。とはいえパゾリーニは、コクトーが得意とした天使的な軽快さからはほど遠い存在であったことも書き添えておかねばなるまい。長編詩「掘削機の涙」のなかで彼は書いている。 pochi conoscono le passioni in cui io sono vissuto: che non mi sono fraterni, eppure sono fratelli proprio nell’avere passion di uomini 「わたしはさまざまな情熱を生きたが/それを知る者は少ないと知った。」このイタリアの詩人にとって人生とは、孤独と後悔の果てにうっすらと垣間見ることのできる希望として、まず体験されていたのである。 お申込み:件名を「パゾリーニ、詩と映像」とし、お名前、電話番号、参加人数を明記の上、メールにてeventi.iictokyo@esteri.itまでお申し込みください。